や16ぁ

やる気なんて初めから無かったんだなぁ

ジャージを履いてはならぬ

なかなか話題になっているんだけれども。
http://www.1101.com/kyoju/03.html
(レイアウトを変えています)

坂本:あのね、僕はね、ちょっと音楽に関係ないんですけど、ジャージをはいてる人が嫌いなんです。

坂本:なんかこう、そうだね。重要な(笑)。何だろう、あれって。
糸井:無遠慮?
坂本:うん、うん。あのね、‥‥そう、そう。結局、その、人んちのことは見たくないじゃん。
糸井:うん(笑)。
坂本:人んちにお邪魔してさ、よくアルバムなんか見せる人いるけど、あれって無遠慮じゃない?人に対して。
糸井:うんうん。
坂本:他人に対する、何ていうのかな。境がわかってないっていうか。それに近いものを感じる。
糸井:うんうん。ジャージはね(笑)。

実のところあまりわからない話ではなくて、とは言ってもジャージを履いている人が嫌いなんじゃなくて。私は外出するのにジャージが着られない。あくまで主観の話なのだが、ジャージは部屋着であり、運動するときに着るものという考え方なので、それ以外の場面でジャージを着ることは無いと。上記引用文もジャージを部屋着に置換したほうがわかりやすいかもしれない。部屋着はその人のプライベートな空間でのみ着るべきものであって、それを着て外を出歩くのはあまりに無遠慮だと。ある種マナーとか恥の文化とかそういうものだと思う。地べたに座って飲み食いするとか電車の中でメイクするとか、そういう話なんじゃないかと。にしては例えがちょっと極端なのだが、さらに極端な話が後に控えているのであまり極端に見えなかったりするのだが。

坂本:ジャージに近いのは、学生の時に、学生食堂で一人でご飯食べてる人いるわけ。男とかで。きちんと食べてるんだけど、それを見ると僕、すごく不愉快なのね(笑)。

これだけを読むと「不愉快に思われるこっちが不愉快だ!」とも言いたくなるのだが、これもまた「無遠慮」が鍵になっている。

坂本:ジャージに近いのは、学生の時に、学生食堂で一人でご飯食べてる人いるわけ。男とかで。きちんと食べてるんだけど、それを見ると僕、すごく不愉快なのね(笑)。
糸井:ああー。
坂本:それはやっぱりさ、その、自分の生活みたいなのを、露出させてる感じがするわけ。
糸井:見せちゃって。
坂本:それは、他人に対して無遠慮だなと思うのよ。

一人で食事をするということは、他の誰のことを意識することなく食事をすることであり、それゆえに無遠慮な部分が出やすくなってしまうのではないかと。別に一人で食事すること自体をどうこう言うわけではなく、一人で食事することによって無遠慮な食事風景を不特定多数の人間に見せ付けてしまう可能性があることを問題にしているのだと思う。ただ、あくまで出やすいというだけで、家で一人で食事するときとまったく同じ光景がそこで繰り広げられるわけじゃないので、坂本龍一の発言はやっぱり極端すぎる。
ま、相手の糸井重里

糸井:あ、その感覚はすごいね。
坂本:わかるでしょ? でも。
糸井:わかるけど、俺は、それは許すからさ。何でも許すから。

理解を示しつつも完全な同意はしていない上、最初のリアクションが「その感覚はすごいね」だし。多分、「すごいね」というのは褒め言葉じゃなくて「理解の範疇を超えてるね」という意味なんじゃないかと思う。