や16ぁ

やる気なんて初めから無かったんだなぁ

初参り

神社だと初詣。寺だと初参り。というわけで、我が家が檀家であるお寺へ初参りに行った。そのお寺というのが、入り口から本堂までのルートにスロープカーを設置するという、檀家から巻き上げたお布施を有効活用しているんだかしていないんだかよく分からない寺であるのだが、高齢化社会の現在において信徒の高齢化もまた避けられない事態であり、同時に寺のバリアフリー化が求められているとあれば、年老いた人々に130段ばかしの階段を上らせるのも酷な話ではある。
信徒が一同に本堂に集まってお経をあげてもらうというのは、アーティストがライブハウスでライブをやるようなものである。杢鉦が刻むビートに乗せて、鎌倉時代から続く永遠のフレーズが本堂に木霊する。りんはシンバルだ。要所要所で読経にアクセントを加える。ここは法華宗(日蓮宗)のサバト。経を書き上げたのは反体制武闘派パンク坊主日蓮である。その伝説は数知れず、中でも処刑寸前の場面から何事も無かったかのように帰還してきたという伝説はあまりにも有名だ。
アーティスト(以下Boze)がノッてくれば、オーディエンス(以下Sint)だってハイになる。段々熱を帯びてくる読経にSintもヒートアップ。数珠を装備したSintが一緒になって読経のコーラス否ユニゾン。一体感によって生み出されるグルーヴのせいか、数人のSintが前に出てきた。厄年のSintに対する厄祓いイベントだ。一心に祈るSintに邪教の経典をかざすBoze。宗教をコンセプトにしている以上、このようなパフォーマンスも必須だ。歌詞カード(お経)には書いていないのに読経で突然ダル・セーニョしやがるのもSintに対するテストのようである。
そしてライブは終盤に差し掛かり、「南無妙法蓮華経」というサビに乗せながら、焼香という名のSint全員によるパフォーマンスに入る。ここでライブハウス全体のテンションが最高潮に達する。
全てが終わり、杢鉦のビートがないクールダウン的な読経を経てライブは終了。終了後のBozeのMCを経て、解散となった。
以上のようなことを、毎年行っている。今年も我慢の年らしい