や16ぁ

やる気なんて初めから無かったんだなぁ

時間とお金というリソース

みなさん、相変わらずパズドラやってますか?私はケリ姫スイーツやってます。アクション部分は「Angry Birds」、成長システムは「Infinity Blade」で、それぞれにアレンジを加える事でゲームとして楽しくさせるということで正直「Angry Birds」より面白いけど後発なんだから当たり前か。
ソシャゲが大人気ってことで、あまたのゲームが立ち上がりあまたのゲームが人知れずサービスを終了するという昨今。そしてポチポチゲーと揶揄されるジャンルでもあり、「アイドルマスターシンデレラガールズ」も「神撃のバハムート」も「美少女競泳メドレーバトル」もポチポチゲーの範疇に入る。「ポチポチするだけのゲームの何が面白いの?」という問いをよく聞くのだけど、正直言ってプレイヤーとしてはそのポチポチ部分はクッソつまらなくて、要らない部分だと思っている。ポチポチ部分は進行上先に進んでいると思わせるための演出に過ぎず、それ自体はちっとも面白く無い。
わかりやすいのは「神撃のバハムート」で、このゲーム、以前は通常でもイベント時でもFlashを使っていかにも敵を倒して先に進んでいますよ的なムービーを流していて、そのFlashムービーはゲームとしては正直どうでも良いもので徒にプレイ時間を引き延ばすだけのものだった。ところが、イベントのときに自分と同じエリア上にフレンドがいるときに限り、Flashムービーをキャンセルして一瞬で先に進める機能「全力で進む」機能が実装された。この「全力で進む」機能はその後のイベントでも標準実装され、今では何の制約も無しに選べるようになっている。今でもイベントの時だけの機能だが、通常のクエストでもムービースキップ機能が実装され、今では短時間で進行できるようになった。
サービス開始当初は演出用に用意していたものがユーザーにとっては不要なものと判断されたと言っても良く、ポチポチ部分はそのゲームの面白いところでもなんでもなかった。
では、こういうゲームの面白いところはどこかと問われると、時間とお金をリソースとして注ぎ込めるところではないか、と思っている。
この手のゲームには一度に実施できる行動数を制限するために体力というパラメータが設定されており、一定回数行動すると体力が切れ、一定時間放置して体力を回復させる必要がある。この回復時間を短縮させるために回復アイテムがあるわけだが、これらはゲーム中で入手することもできるものの課金することで購入することもできる。すなわち、時間をカネで買うことができる。この仕様をチートのように言う人間もいるが、これはあくまで仕様の一つと見るべきだろう。時間を投入するか、金を投入するかをプレイヤーに選択させているにすぎないからだ。
継続プレイのために時間的縛りを入れ、それを解消するために金というリソースを投入可能にする。一方で、無課金を貫き効率良く進行させるために体力回復までの時間を計って体力が回復したら即進めるようにスケジュール管理する、というアプローチもあるだろう。このように、時間と金というリソースがあり、そのどちらを投入するかをプレイヤーに選ばせるところに戦略が生まれ、どのような戦略を取るかを判断することが楽しいところなのかなあと思ったりして、そんなところに楽しみを見出す人間も少数派だろうなあとも思ったりして。

何となく岩手を満喫したかった

結局のところ、平泉と盛岡大仏に行くことになった。三陸鉄道方面は盛岡から結構遠く、それだけで一日仕事になる気配だったためである。さすが本州で一番面積の広い県である。
平泉まで普通列車で1.5時間弱。車内は比較的ガラガラ。まあ平日だし。そして、平泉駅前では何かの踊りの練習を行っているのだった。

平泉にあるのは中尊寺だけではなく色々な仏閣や史跡があり、それらによる広範なテーマパーク状態になっている。歩いて回るのはかなり時間がかかるのか、レンタサイクルがあり、せっかくなので借りる事にした。ちょっと割高だが電動自転車もある。
中尊寺だけではないと書いたものの、史跡は奥州藤原氏とか源義経関連ばかりなのでそれほどバリエーションがあるわけではない。ということで最初に行ったのは源義経終焉の地と言われる高舘義経堂。奥の細道のコースなので松尾芭蕉の歌碑もある。

本編である義経堂に行こうとするとお坊さんの集団が。法要があるらしいのでそそくさと退散する。
次に中尊寺。自転車でも結構時間がかかる。中尊寺は完全に独立した観光地状態と化しており、平泉駅前は人影もまばらだったのに中尊寺では人があふれていた。みんな観光バスで来ているからだった。まあそうだろう。出雲大社の雰囲気にも近い。
中尊寺の入口付近には武蔵坊弁慶の墓がある。非常に後付感が強い。

参道を歩き、本堂に着く。本堂は明治時代に再建されたものということで100年という歴史はあれどこの中では新しい方。中尊寺中尊寺たる部分は金色堂とその周辺にあるため、さっさと奥に進む。
金色堂を見るためには拝観料が必要で、その拝観料は讃衡蔵の拝観料も含む。ここからは人がいっぱいで人の後についていって移動するという感じになる。金色堂を見に来ているので重要文化財のオンパレードである讃衡蔵も前座扱い。
そして金色堂。外から見えるお堂は覆堂であり、金色堂は中にある。国宝なので当たり前といえば当たり前か。その金色堂は金箔張りなのはもちろんのこと、巻柱に施された蒔絵や螺鈿が素晴らしいのだが、あまりにも気合を入れて当時の状態を再現しているため、古さを全然感じさせず、逆に有り難みが減っている感もある。しかしコレを約900年前に建てるとか無茶苦茶だろう。
金色堂の近くには白山神社があり、重要文化財の能舞台がある。掃除機で掃除する。

時間の都合上午前中で平泉から引き上げ、盛岡に移動し、昨日紹介された盛岡大仏のある松園寺へ向かう。行き方がわからないので、タクシーで行くことにしたのだが、行き先を告げても運転手さんがどうも知らない模様。何度か説明してみると分かってもらえたようで、「あーあの変なお寺ですか」とのお言葉。真っ当な観光客は絶対に行かないところなのだろう。否が応でも期待が高まるというもの。
しばらくすると大仏の姿が見えてきた。松園寺である。遠くからでも数多くの石碑が立っているところが分かる。本堂は坂を登った先にあるため、タクシーの運転手さんも本堂まで行ってくれるみたいだったが、私の目的はあくまで石碑なので、ふもとの入り口のところで「ここでいいです!ここでいいです!」って言って止めてもらった。多分おかしな人と思われたことだろう。
中の石碑は著名人のものと名前の無いものとが入り交じっており、著名人のものは大して面白くなく、クオリティは無名の方が圧倒的に高い。この独特の空気感は「ピットファイター」の「なさけ むよう」とか「いきのこったヤツの かちだ」に通じるものがある。
撮影したものはtumblrにまとめた
ここは明らかに秘境。一度は行ってみるべきである。ちなみに裏口があるらしく、その近辺の石碑のデキが素晴らしいらしいのだが、私はそこに気づかず、見ることなく帰ってきてしまった。明らかなる失態。もう一度行くしかないな。

何となく岩手に行きたかった

このブログを始めた当初は連休など夢のまた夢だったが、今では積極的に有給休暇を取りなさいと会社に言われるような状態。直前まで何の計画も立てていなかったが、思い立ったが吉日ということで岩手に行くことにした。朝ドラの舞台で流行ってそうだし、というのもある。
移動は完全陸路。特急だ新幹線だを乗り換えていくことにした。大型連休中とはいえ、間の平日期間だったせいか、空席が多く、スムーズに席を取ることができた。そして、東北新幹線ではグランクラスに乗ることにした。今後東北に行く機会などそうそうないだろうし、ならば一度くらいはグランクラスに乗っても良かろうという判断である。あまりにも盛り沢山な内容で、グリーン車では動じない私もグランクラスは人間を堕落させるッ!と強く感じたのだった。写真は撮ったけど正直グランクラス公式サイトを見たほうが良い。
上着を自宅においてきたのが痛かった。耐えられないほどではないが、盛岡の夜はじわじわと体温を奪っていくような寒さだった。そんな中、ノープランで盛岡に来たので食事とか何も考えていなかったが、今はネットで探せる便利な時代。びっくりドンキー発祥の地であるハンバーグのベルに行った。聖地巡礼という奴だ。なお鳥取市びっくりドンキーは無い。
その後、今回の旅の主目的であるサブカルバーAEに行った。開店した時からずっと行きたいと思っていたのでやっと本懐を果たしたというところ。思っていた通りの雰囲気のお店で私にはずっといられる場所。こんなお店が鳥取に欲しいと何度も言ったような気がする。
平泉か三陸鉄道に行くという話をしたら、平泉は多分期待はずれになるだろう、という話ともっとおすすめの場所があるということで盛岡大仏を紹介された。その盛岡大仏、私は知らない。地元民であるはずのお店のお客さんも知らない。一体どういう場所なんだ。というわけで次の日に続く。

あやうく保険が失効されそうになった件

一週間前くらいに郵便局の簡易保険のはがきが届いて、中を確認してみると保険料の払い込みがされていないからこのままでは保険が無効になってしまう、という内容。この保険はちょっと複雑な事情で引き落とし口座を切り替える必要があり、はじめは引き落とし口座の変更を忘れていたのかとも思ったが、わざわざ有給休暇まで取って*1切り替えていたことを思い出し、どういうことだろうと思いつつ郵便局まで確認しに行った。
ありがちな原因としては引き落とし口座に残金が無いことで当然受付の人からも最初に聞かれたのだが、生来の怠け者である私は目的別に口座を分けるなどということは当然しないから給料が振り込まれる口座から引き落している。残金に余裕が有ることは確認しているのでこのセンは消える。
次は口座番号が間違っているのでは?ということで口座番号の話になるが、郵便局側では引き落とし口座の番号と銀行コードと店番号を控えており銀行名は控えていないらしい。ということで銀行名と口座番号を告げる。とりあえず口座番号は合っていた。
調べてもらったもののどうも向こうも原因がわからないようで、長期化しそうな流れになっていたが、偶然郵便局側で控えていた店番号が間違っていることに気づき、とりあえず問題は解決した。
とはいえ、本件についてそう簡単に納得できるはずもない。異なる店番号で同じ口座番号の口座があったとしても口座の所有者が違うだろうからそうそう間違えて引き落としが行われるということはないが、現金が絡む案件である以上、こういう形でのミスは結構恐ろしい。
そこで、書いた所で現状の改善がなされることはないのだが本件が発生した原因を考えてみた。
口座振替の申込で私が記載する項目は、銀行名、店名、口座番号である。これをこれを受けて、郵便局側は銀行名から銀行コード、店名から店番号を手持ちの資料から探して引っ張り出し、手作業で記入する。今回の場合、正しい店番号は128なのに実際に記入された数字は120だったようである。おそらく原因は人の手による書き写しにある。人の手が入る以上、ミスは発生する。
根本的な解決方法は店名から店番号の導出と記入を自動化するようにシステムを改修することだと思うが、そんな簡単に改修できるはずもなく。とすれば店番号はキャッシュカードにも通帳にも記載されているため、それらのコピーを取って記入時にチェックするようにすれば完全にミスを無くすことはできなくても精度は上がるだろうが、うーんという感じで。

*1:郵便局の保険業務は駅近くの中央郵便局でしかやっておらず、しかも平日のみの営業ということで勤め人にはなかなかツラい

Where to go my love / KOKIA

昨年出たアルバム「心ばかり」は様々なタイアップ曲などの編集盤であったため、オリジナルアルバムとしては「moment」以来22ヶ月ぶりのアルバム。前作「moment」では、「人間に戻ってきた」という印象を持っていたが、今回は完全に一人の人間としてのアルバムになったのだった。というか、有り体に言ってしまうとこのアルバムの製作中に長年公私共にKOKIAのパートナーだったディレクターが亡くなっており、そのことに対する感情を強く感じさせるようなアルバムだった。

Where to go my love

Where to go my love

Dance with the wind

アルバム全体の話になってしまうが、「Fairy Dance」のときのようなアコースティックで暖かいサウンドである。この曲自体はアルバムの中でも小品感というかこの曲単体でパッケージとしてまとまっている感じというか。

愛はこだまする

サウンドは暖かく、「I love you」を歌っているのだが曲の根底にあるものはそんな生優しいものではなく、終盤では「生きよう」と、抗えない重い現実があろうとも前に進むという決意の歌になる。

You are not alone

ちょうど今ファミリーマートの店内で流れているのがこの曲。
軽快な曲調に相手を優しく励ます歌詞。その中で「You are not alone」というメッセージは意外にズドンとした重みがあって心に残る。

liar liar 〜 ロマンティックワルツ

このアルバムの中でもすこぶる特徴的なサウンド。大人っぽいシックな雰囲気だが、歌詞から受ける印象は少女っぽく、全体的に背伸びした少女の姿をイメージさせる。

Something blue & something red

明るい曲調のおかげでザックリ感はそこまでではないのだが、歌詞としては「aigakikoeru」の「HUMANITARIAN」に近い。感情を乗せた言葉を歌のモチーフにするのはいかにもKOKIAらしいというか。

ヒトの中にあるもの

ややオリエンタルな雰囲気を漂わせたサウンドと物語性のある歌詞。「aigakikoeru」の「二人の娘」を彷彿とさせる。ラストで突然曲調が変わってビックリするが楽しい。

微笑みを忘れないように

この辺りからストレートな内容になってくる。そう遠くない未来に大切な人を失ってしまう悲しみ、不安の中で幸せを伝える切なさ。と思ってしまうのだが、結婚式直前の喜びの中の小さな不安と決意みたいな解釈を見かけて「おー」と思った。

夢の途中

KOKIAアルバム名物「歌こそ我が人生」ソング。終わりなき旅を目の前に歩みを進めることを決意する曲。この曲をアルバムの最後に持ってきても良かったのかもしれない。

映画のような恋でした

葬送曲なのだろう。残された者の別れのメッセージというか。詞も曲も全然似通っていないのだけど、人生を映画になぞらえているようで「REAL WORLD」の「最終上映」を思い出した。

Where to go my love

「夢の途中」をラストに持ってきても良かったと書いたものの、この曲もラストを飾るにふさわしい曲。「映画のような恋でした」がスクリーンが降りる終焉だとしたら、この曲はその後劇場の照明が全て落ち、全てが終わる感じ。

全体的に穏やかで暖かなサウンドである一方、歌詞は人の強さ弱さが入り交じった内容で、今までのKOKIAのアルバムの中でもトップレベルでの人間臭さのようなものが感じられた。
初回限定盤はさらにボーナストラックとして「One by one, Day by day(The 5th season concert ver.)」が収録されているのだが、私がAmazonで予約したのはなぜか通常版。予約してわざわざ通常版買うやつなんていないだろ……常識的に考えて……。おのれAmazon!(逆恨み)

君のいる場所 / 伊藤静

私の中で2012年は伊藤静後藤邑子小林ゆうに尽きた。というわけで年末に発売されて年末進行の影響を受けて聴けなかったシングルを発売から2ヶ月経ってようやく聴いたわけだけれども。

君のいる場所(DVD付)

君のいる場所(DVD付)

DVD付き。DVD付きしかない。豪気な。
2012/12/26発売でAmazonで余裕を持って予約したはずだったがなぜかAmazonではなかなか入荷せず、発送が年明けになっていた。クリスマス以降の本気の年末発売だとこういうこともあるのだろう。
過去2作のミニアルバム、1作のシングルを経ての今作だが、曲のテイストはミニアルバム2作目「Present」に近い。「Everybody ready now?」ほどハイテンションでもなく、かといって「Devotion」ほど暗くもない。比較的落ち着いた曲調である。
表題曲の「君のいる場所」はしんみりとした曲で低音のボーカルが乗ったAメロBメロあたりは良く分からんがブルースっぽく、3拍子で畳み掛けてくる中々渋い曲。雪中PVに見事にマッチしている。良くこの低音パート声出せるな。
2曲目の「たったひとつの大切なこと」は一転して甘い一人称歌詞のラブソング。本人作詞だが、「ハヤテのごとく!」の桂ヒナギクのキャラソンとか、「アマガミ」の森島はるかのキャラソンと言われてもしっくり来るような完成度を持つ。多分こちらの曲のほうがウケは良いと思う。
今回は2曲とも本人による作詞だったが、「Ready now?」の「目指せ好い加減」のような、いかにもなセンスを感じさせる歌詞はあまりない。よくこなれているというかよくまとまっているというか。
開封したの昨日だからライブツアーの購入者限定先行販売受付に余裕で間に合っていない。

場末のゲーセンにて

私の家から最寄りのゲーセンは大学の近所にある、昔ながらのテイストを持ったゲーセンである。いわゆるアミューズメント施設とは真逆の方向性を持ったゲーセンである。大学の近所だが、客は少ない。ちょっと移動すればより充実したラインナップを揃えたゲーセンがあるからだ。私は、客が少ないおかげでbeatmaniaIIDXが快適に遊べるから通っていたりする(もっと低PASELIポイントの店が別に存在するが、低PASELIポイント故に混んでいる)。beatmaniaIIDX麻雀格闘倶楽部を除いて最新と呼べるゲームと言えば「エヌアイン完全世界」である。「テトリス・ザ・グランドマスター」(1作目)や「ストリートファイターIII 3rdストライク」が人気機種である。下手の横好きシューターの私でもそこそこ楽しめる「雷電DX」もある。10年以上前のゲーセンの光景だ。
客が少ないので落ち着いてゲームが楽しめる。私は一人対戦格闘ゲームファンでもあるため、暇に任せて「エヌアイン完全世界」を全キャラクリアしていたりした。「ファイティングレイヤー」で全キャラクリアしたときのゲーセンでもある。他の店舗で置かせてもらえない基板が集まってくるんだろうか、チョイスが渋すぎる。
その店には、シューティングゲーム1000in1の機種も置いてある。MAMEなのだろうし、そういう怪しげなものに金を投入する気にはなかなかなれず、実際プレイしている人を見かけることはほぼ無いのだが、その日は珍しく誰かが遊んだようで、「極上パロディウス」の画面になっていた。
その人に触発されたのか分からないが、なにかやってみようと思い、ゲームリスト画面に戻そうとしたところ、クレジットが入っていた。どうも100円2クレのうちの1クレを残したままにしていたらしい。いい年してタダゲーもアレだが、残っているクレジットは誰かが有効に使うべきという都合の良い主張を持ってプレイすることにした。プレイ内容について語るべきことはない。4面の高速ステージでゲームオーバーになった。まあそんなもんだ。
席を立った時に声をかけられた。「極上パロディウス」を選択して遊んでいた人だった。このゲーセンで普段遊んでいるゲームの話や、「極上パロディウス」の話を枕に、昔のゲーセンの話を聞いた。
その人はもうかれこれ10年以上このゲーセンに通っていた。そのころは学生客が非常に多く、ハイスコア集計も行なっており、スコア集計結果を壁に張り出していたりしていたらしい。私が知っている90年代前期までのゲーセンという感じだった。しかし、そのころの学生はとうに卒業してそれぞれの道に進み、今となっては見る影もない。その人はシューティングゲームが大好きで、シューティングゲームで育ってきたそうなので余計に今の光景に寂しさを感じるのだろう。「雷電DX」などは連射装置をつければかなり遊びやすくなるのでつけてくれないかと店側にお願いしてみたが断られたという。店側にもそういうことの出来る人がいないのかもしれないし、そういう改造そのものを避けたい気持ちもあるだろう。
これからもシューティングゲームをプレイし続けましょう、みたいな話をしてその人とは別れた。その人はこれからもゲーセンでシューティングゲームを遊び続けるだろうし、私もダラダラと遊び続けるだろう。それで良いのだ。
別に懐古主義ではない。新しいゲームは新しいゲームで遊ぶし、古くても大好きだったゲームはやっぱり遊び続ける。その店にしか無いゲームを遊びために通う。でも、私はやっぱり寂れている場末の雰囲気を出しているこのゲーセンが好きなのだろう。ラインナップは渋いし、筐体のメンテは甘いし、来るたびに筐体の数が減って段々広々としてきているようだが、それでもここが居心地がいい。

ゲームを愛そう。新しいゲームを愛そう。古いゲームを愛そう。作り手を愛そう。遊び場を愛そう。クソゲーを笑い飛ばそう(出くわしても被害額100円だし)。この言葉を持って、2013年の意気込みとさせてください。