や16ぁ

やる気なんて初めから無かったんだなぁ

岡本かの子の小説に登場する少女の魅力

一時人物評伝を読むのにハマっていて、その中で岡本太郎の評伝を読んだ。あの美に対する異常なまでの情熱のルーツはどこにあるのかと思いながら読んだが、彼の両親のキャラクターが強烈すぎて「ああ、この親にしてこの子あり」という感想になった。 また、北大路魯山人岡本太郎の祖父である岡本可亭に弟子入りしていたこともあり、魯山人をモチーフにした小説を岡本かの子が執筆したという話を知って俄然興味がわき、「食魔」という小説を読んだ。

主人公の食に対する暴君(タイラント)ぶりは同じく魯山人をモデルにした「美味しんぼ」の海原雄山を髣髴とさせるが遥かに俗っぽく、食の大家にならんと野望を持つ人物として描かれている。 本作はそんな主人公:鼈四郎の不完全燃焼な現実とあまりに数奇な過去を描いていく。ところが、私の興味は主人公ではなく主人公から料理を学んでいる姉妹の妹:お絹に移った。

「なんだって、自分はあんなに好きなお絹と一しょになり、好きな生活のできる富裕な邸宅に住めないのだろう。人間に好くという慾を植えつけて置きながら、その慾の欲しがるものを真直(まっすぐ)には与えない。誰だか知らないが、世界を慥えた奴はいやな奴だ」

主人公のセリフである。主人公は妻子ある身なのだが、それでも心の中をお絹が占めている。また、主人公の雇い主である蛍雪は姉娘:お千代には所帯じみた主婦役をやらせる一方で、妹娘のお絹には豪華な服を着せ、フランスカトリックの女学校に通わせるという溺愛ぶりを見せる。ここからもお絹の器量が垣間見えてくる。それでいてお絹自身は結構な年上である主人公に対して冷淡な言葉を浴びせたりする一方で、自分の思い通りにならないことに対しては「お父様に言いつけてやる」などと子供っぽいセリフも吐く。 このお絹の背伸びした大人な部分とまだあどけない子供の部分が相まって魅力的なキャラに映る。なおお絹の出番は小説全体の4分の1くらいであるのだが、キャラクターの強さもあって常に読者の頭の片隅に存在し続ける。

小説家としての岡本かの子は、川端康成の指導を受けて作品を発表するも、最初は評価を受けなかったという。その後「老妓抄」という作品で当時の評論家から絶賛を受ける。この「老妓抄」もみち子という大変魅力的な少女が登場する作品なのだが、その話は別の機会に。