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や16ぁ

やる気なんて初めから無かったんだなぁ

何となく岩手を満喫したかった

結局のところ、平泉と盛岡大仏に行くことになった。三陸鉄道方面は盛岡から結構遠く、それだけで一日仕事になる気配だったためである。さすが本州で一番面積の広い県である。
平泉まで普通列車で1.5時間弱。車内は比較的ガラガラ。まあ平日だし。そして、平泉駅前では何かの踊りの練習を行っているのだった。

平泉にあるのは中尊寺だけではなく色々な仏閣や史跡があり、それらによる広範なテーマパーク状態になっている。歩いて回るのはかなり時間がかかるのか、レンタサイクルがあり、せっかくなので借りる事にした。ちょっと割高だが電動自転車もある。
中尊寺だけではないと書いたものの、史跡は奥州藤原氏とか源義経関連ばかりなのでそれほどバリエーションがあるわけではない。ということで最初に行ったのは源義経終焉の地と言われる高舘義経堂。奥の細道のコースなので松尾芭蕉の歌碑もある。

本編である義経堂に行こうとするとお坊さんの集団が。法要があるらしいのでそそくさと退散する。
次に中尊寺。自転車でも結構時間がかかる。中尊寺は完全に独立した観光地状態と化しており、平泉駅前は人影もまばらだったのに中尊寺では人があふれていた。みんな観光バスで来ているからだった。まあそうだろう。出雲大社の雰囲気にも近い。
中尊寺の入口付近には武蔵坊弁慶の墓がある。非常に後付感が強い。

参道を歩き、本堂に着く。本堂は明治時代に再建されたものということで100年という歴史はあれどこの中では新しい方。中尊寺中尊寺たる部分は金色堂とその周辺にあるため、さっさと奥に進む。
金色堂を見るためには拝観料が必要で、その拝観料は讃衡蔵の拝観料も含む。ここからは人がいっぱいで人の後についていって移動するという感じになる。金色堂を見に来ているので重要文化財のオンパレードである讃衡蔵も前座扱い。
そして金色堂。外から見えるお堂は覆堂であり、金色堂は中にある。国宝なので当たり前といえば当たり前か。その金色堂は金箔張りなのはもちろんのこと、巻柱に施された蒔絵や螺鈿が素晴らしいのだが、あまりにも気合を入れて当時の状態を再現しているため、古さを全然感じさせず、逆に有り難みが減っている感もある。しかしコレを約900年前に建てるとか無茶苦茶だろう。
金色堂の近くには白山神社があり、重要文化財の能舞台がある。掃除機で掃除する。

時間の都合上午前中で平泉から引き上げ、盛岡に移動し、昨日紹介された盛岡大仏のある松園寺へ向かう。行き方がわからないので、タクシーで行くことにしたのだが、行き先を告げても運転手さんがどうも知らない模様。何度か説明してみると分かってもらえたようで、「あーあの変なお寺ですか」とのお言葉。真っ当な観光客は絶対に行かないところなのだろう。否が応でも期待が高まるというもの。
しばらくすると大仏の姿が見えてきた。松園寺である。遠くからでも数多くの石碑が立っているところが分かる。本堂は坂を登った先にあるため、タクシーの運転手さんも本堂まで行ってくれるみたいだったが、私の目的はあくまで石碑なので、ふもとの入り口のところで「ここでいいです!ここでいいです!」って言って止めてもらった。多分おかしな人と思われたことだろう。
中の石碑は著名人のものと名前の無いものとが入り交じっており、著名人のものは大して面白くなく、クオリティは無名の方が圧倒的に高い。この独特の空気感は「ピットファイター」の「なさけ むよう」とか「いきのこったヤツの かちだ」に通じるものがある。
撮影したものはtumblrにまとめた
ここは明らかに秘境。一度は行ってみるべきである。ちなみに裏口があるらしく、その近辺の石碑のデキが素晴らしいらしいのだが、私はそこに気づかず、見ることなく帰ってきてしまった。明らかなる失態。もう一度行くしかないな。