や16ぁ

やる気なんて初めから無かったんだなぁ

ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃

見渡すと、「ゴジラ FINAL WARS」の評価が見事に賛否両論。こういう状態こそ製作サイドの思う壺というかなんと言うか。要は話題にされているうちが華ということである。
というわけで、マニアの評価が高いという噂を聞きつけたので、見てみることにした。あと、監督が金子修介であるというのも選択した理由のひとつである。
いざ見てみると、これはこれでブッ飛んだ設定のような気がした。モスラ、バラゴン、キングギドラがそれぞれ日本の護り神なんていう設定は古くからのゴジラファンから見れば悶絶モノのような気がする。ゴジラシリーズの超保守的な人間は、きっと「モスラはインファント島の守護神で無ければならない」と考えているだろうし、「キングギドラは隕石に乗ってくるか、宇宙人に操られていなければならない」と考えているだろう。そういう点から、この作品を評価しているファンはそれなりにゴジラシリーズにおける保守的な思想からは逃れられているように思える。ただし、革新的だったのは脚本/設定レベルまでで、怪獣パートおよび人間パートの内容はミレニアム以前のゴジラシリーズから大して変わっていない印象を受けた。総じて怪獣の動きがスローなのである。これは、怪獣のスケールの大きさを表すための表現手法とも取れるが、基本的にマニアが好きなゴジラゆっくりと真面目に破壊活動を行うゴジラなんだと思う。
ここで注目すべきは「三大怪獣地球最大の決戦」までのゴジラと後のゴジラの違いである。つまり、人間の敵だった頃のゴジラと、人間の味方になった後のゴジラである。人間の敵だった頃のゴジラは、基本的に人間の恐怖の対象であるためコミカルな部分というのを全く見せない。常に破壊活動に終始する存在である。対して、人間の味方になってからのゴジラは人相が良くなったばかりか、数々のやんちゃもやっている。「怪獣大戦争」では「シェー」をやったし、「怪獣総進撃」ではゴジラファミリーともいえる集団でキングギドラをフクロにしたし、「ゴジラヘドラ」では放射能火炎を推進力にして空を飛んだし、「地球攻撃命令ゴジラガイガン」ではアンギラス吹き出しつきでの会話をやってのけたし、「ゴジラ対メガロ」は存在そのものがやんちゃだった。こういうノリはゴジラが人類の敵でなくてはならないと考えている人たちには受け入れにくいものがあると思う。
結局のところ、マニアが好きなゴジラというのは「モスラゴジラ」までのゴジラであり、生物を超越した、生物らしさの全くない文字通り破壊神といえるゴジラなのだろう。本作のゴジラからはそういった印象を受けるし、「ゴジラ FINAL WARS」のゴジラからはそういった印象を受けない。
ちなみに私は「怪獣総進撃」から入ったクチで、その次に「キングコング対ゴジラ」を見ているため、両方のゴジラを受け入れることが出来た。だからこそ、本作も「ゴジラ FINAL WARS」も楽しめたのだと思う。